お役立ち情報など 私の仕事観

Twitterで何気なく呟いた言葉が、11万いいね頂きました。

2018/01/24

「判断するって事は、正しい方を選ぶことではなく、選んだ結果を受け入れること」とTwitterでつぶやいたらたくさんの反応を頂きました!

イラストレーターのカッピー18です!
1月20日、ほんの軽い気持ちでつぶやいたら、あれよあれよと広がって朝起きたら2000RT、次に開いたら8,000RT、そしてこの記事を書き始めた時には13,000RTと今まで経験のない反応を頂いています。

いろいろとリアクションも頂いて、その中でも「それでも後悔するんですよね」とか「それでも周りは許してくれない」と言ったこ意見の方もいて、ニュアンスが伝わりきっていないと思い、こう思うようになったきっかけや私なりの意図を記してみました。

部活で負傷した時に、どう行動すれば良いか判断できなかったのがきっかけ

どれも一理ある複数の選択肢

きっかけや成長の過程は一つではありませんでしたが、「あの時が、こういう事を考え始めたきっかけだったかな?」と思った時の話です。
他愛もない事でしたが、当時とても真剣に悩んだ事を覚えています。

私は大学でアメリカンフットボール部に所属していたのですが、もともと身体が頑丈ではなかったので、怪我することもしばしばありました。

そんな時、

・松葉杖をつきながらグランドに出て手伝いをすれば「座って早く治すことがチームとして正しいことだ」と言われる。

・そして座っていたら「皆が練習しているのに座ってられたら士気に関わる、怪我してても何か手伝えるだろう?」と言う人もいる。

・中には「練習に来ずに家で休んで早く復帰するのが大事だよ」と言う人もいる。そしてその通りにしたら「お前、怪我してるからって練習くらい来れるやろう」と言う人もいる。

・そしてどれも正しいように思えてきて、行動が定まらないと「お前は何がしたいんだ」とさらに立場がなくなっていきます。

自分としてはいろんな人の意見を受け入れてチームにとって正しい選択をとっているつもりなのに、「結局が何が正しいんだー!!俺かて不安で練習もしたいし、試合も出たいんじゃー!」と思い悩んだことがきっかけでした。

そして最後は一番よくない「◯◯さんが言ったんじゃないですか!」と言う気持ちに押しつぶされていました。

きちんと判断基準を持つこと、判断基準を持つために判断することを経験すること

当時のことを思い出すと、
まずは、

1.怪我をした時点で、その事実はどうしようも変えられないと言うことを認識すること。

2.選手としての貢献はある程度諦めて裏方としてチームに少しでも役に立つなら、松葉杖しながらでもグランドに立ち、選手として復帰してチームに貢献しようとするなら、練習に来ずに療養に集中するという判断基準を持つべきだったなと言うこと。

と、判断すべきだったのかなと思います。

つまり、怪我をした時点でどの道立場も悪くなると言う状況を心のどこかで受け入れきれていない事と、判断基準を持てていなかったことが考えられます。

そもそも人にどう思われるかが重要ではない

あとは当時、周りからどう思われるかを気にしていました。
もちろん周りの意見を聞く事はすごく大事です。
でも、それ以上に、自分がどうしたいかがとても大事だと言うことが抜け落ちていました。

3.自分は下手だろうが何だろうが、選手としてチームに貢献したかったと自分に正直になること。

これが判断する上で、当時一番大切だった事のように思います。

何を選択しても、ほとんどの場合ネガティブな結果もつきまとうケースが多い

これらを踏まえて、その時すべきだったのは、きちんとチームの代表に話して、できるだけ療養して早く復帰できることを相談して、どうするか決める。

その場合、手伝いを最優先せずに療養を優先した場合、一部のチームメイトに非難されること、信頼を失うこと、選手として貢献したい気持ちを嘲笑されること(実際に性格悪い先輩も一部いたので笑)の可能性を自分の中でしっかり受け入れた上で行動することだったのだと思います。

判断に自分の信念に関わる事があるならば、たいていのことは周りになんか許してもらわなくても、どう思われても実はいいんだと思います。

極端な考えは怖い結果に繋がる場合も多いけど、自分の判断を受け入れられたら、もしその判断がチームメイトからの信頼を失うと言うネガティブな結果になっても、その信頼を取り戻すべきために何をすべきか?と頭を切り替えることができます。

判断基準が「正しい」「正しくない」だから、選べないし前に進めない

ここまで判断基準を持った上で、「当時こうすればきっと良かった」という意見を書きましたが、ここが重要で、この上の判断も「正しい判断」だとは誰も分からないんです。

学生時代の自分は、とにかく「正しい」「正しくない」に振り回されていたと思います。
正しいかなんて、ほんとずっと先まで分からないし、死ぬまで分からないかもしれないのに。

療養に集中して怪我を直して、試合に出て勝利に導ければ「正しかった」のかもしれないけど、怪我も完治せず試合でもミスをすれば信頼を失うだけで「正しくなかった」のかもしれない。
試合に出れるようになって活躍して、それで天狗になって社会人と失敗すれば、その時の判断は「正しくなった」のかもしれない。
その判断でチームメイトの信頼を失い、信頼の重要性を学び、ビジネスマンとして活躍できれば、その判断は「正しかった」のかもしれない。

要するに「正しい」「正しくない」ではなくて、自分の判断基準を元にした判断の結果をきちんと受け入れることができれば、結果が悪い方向で終わっても、次の判断基準もしっかり持てるようになってくるし、失敗を糧に何を明確に努力するかも見えてきます。

だから判断の結果に後悔してもいいと思うし、何に後悔したのか、なぜ後悔したのか、次後悔しないように、その判断の結果をしっかりと受け入れて進んでいくようになってから、確実に人生は変わっていきました。
当時は学生でしたが、社会人になれば判断の結果に対する影響がどんどん大きくなり、それを受け入れる事が相手にとっても責任感に映ります。

「判断した結果を受け入れる」って言うのは、絶対後悔しないためのメソッドとかではなく、わかりもしない「正しい」「正しくない」に振り回されず、悪い結果や後悔も「こんなはずじゃなかった!」ではなくちゃんと受け入れて、次の判断の糧に進んでいくと、少しずつ人生がうまく進みだしましたと言う内容のツイートでした!

たくさんの方に共感してもらえて、とても嬉しかったし、楽しかったです。
色々なご意見も勉強になりましたし、これからも自分の判断を受け入れて前に進んでいきたいと思います!

-お役立ち情報など, 私の仕事観